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誰もみな手をふってはしばし別れる

(あまりまとまってません。とりあえず何か書かないと落ち着かないので)

肺癌の検査で国立がんセンターに入院していた父親が亡くなってしまいました。自分は先週土曜日から病院に泊り込んで介抱していました*1。しかし闘病の甲斐なく11/3に帰らぬ人になり、そして本日葬儀がおわりました。


死因は肺癌それ自体ではなく、検査入院時に併発した謎の肺の炎症(原因不明の間質性肺炎と分類されました)によるものです。先週の金曜日ぐらいに肺の炎症がひどくなり、数日で急激に悪化してしまいました。もちろん癌自体も、進展期の肺小細胞癌で、それはそれで重い状況でした。しかし、癌というものは数日単位で急激に悪化するものでは無く、末期がんでも数ヶ月、数年*2という単位で進行し、ある意味緩やかに別れの準備ができる病気です。今回の肺の炎症は数日前まで元気だった人が亡くなるという交通事故みたいな展開で心が追いつかない。

肺の炎症の原因はいまだわかりません。生前検査した範囲では、おそらくインフルとかによる感染症では無く原因不明とのことです*3。そもそも間質性肺炎がここまで急速に広がることは少ないそうです。また原因が分からなくても間質性肺炎にはステロイドが対症療法的に効くことが多いのですが、それも全く効かず症状が急速に進行していまいました。このように原因がわからずステロイドも効かない場合、ほとんど手が無いそうなのです。非常にもやもやしますが、父の死後病理解剖し組織検査にまわされたので数ヵ月後に理由がもう少しわかるかもしれないです。父はエンジニアだったので、この謎は絶対に解明したいでしょう。おそらく癌がなんらかの間接的な関与をしているのかもしれないと個人的には思ってます*4


国立がんセンターの医師や看護師の方々は、おそらく非常に説明しづらい病状だったとおもいますが、きちんと説明してくれました。最後の数日は積極的な緩和ケアを行ってくれました。家族のプライベートも可能な限り守ってくれて、いくつかのお願いも聞いてくれました。患者との接し方などすごく優秀な方がそろっているなぁと感じ、父も感謝していました。(おそらく医療ミスみたいな可能性もほぼ無いと思います)
また、がんセンターという性質上、深刻な状況の患者さんも多いと思いますが、それぞれ自分の状況にあわせて入院生活を楽しめるようなつくりになっていて、とてもよい病院だと思いました。あの巨大な病院に泊り込んでいると、そこが病と闘う要塞都市のように感じられてとても力強い気持ちになりました。


なにからなにまでツキの無かった父の病気ですが、一つだけ奇跡もありました。
肺の病気の末期症状の場合、あまりにも苦しいので、緩和ケアとしてモルヒネを多めに投与し眠りにつくことになります。父は土曜日に家族への最後の言葉を伝えて、ついでに葬式の手続きまで伝言して*5、覚悟した上でモルヒネを使って最後の眠りにつきました。

一般的にはその後、きちんと目を覚ますことは無い、たとえ目をさましても意識は朦朧とするはずなのです。しかし次の日の午後2時ごろ、看護師さんが検温にきたときに急に眼を開きお礼をいいました。「目覚めることは無いと思っていたが、こんなに楽な状態で目覚めるのは奇跡だ」と医師や看護師に感謝の言葉を述べました。。それ以降は、家族でずっといろいろな話をしました。モルヒネの副作用で、たまに変なことをいっても「俺、今変なことをいったよな?」って確認するほど意識がハッキリしている。さらに次の日もきちんと目をさまして、話をしてくれました。しかしポツリと「もう限界」という事も言いました。


その夜寝る前にコーヒーが飲みたいというので、ジョージアをスポンジに含ませて飲ませたら、、「これがコーヒーかねぇ」「変な味だねぇ」とかいった後、眠りにつきました。(ジョージアは今後一切飲まないことを心に誓った)
その夜中もずっと見張っていたのですが、悪夢を見ているらしく酸素マスクをむしりとって、立ち上がり叫ぶなど、体力的には絶対無茶な動きをしました。父が苦しんでいることに非常に罪悪感を感じたのですが、看護師や医師の方には、おそらくモルヒネの副作用で本人は苦しく無いはず、という慰めの言葉をいただきました。これが本当であることを願います。

次の日は前夜の悪夢で体力を使い果たしたらしく、眠るように旅立っていきました。前夜とは違い穏やかな眠るような表情でした。


そこから先はものすごく忙しく、葬儀が終わってようやくホッとしたところです。でも病院や葬儀に関わる人も良い人ばかりだったし、生前の父の希望*6で密葬形式だったので普通に比べると負担はかなり少なかったと思います。

この一週間、たくさん泣きましたが、一番泣いたのはモルヒネの眠りから目覚めたときの嬉し涙です。どんな状況でも人間は奇跡をおこせるなと、本当に思います。

父とはしばしの別れになりますが、自分の毎日はまだ続く。すこしでも前に進んでいこうと思う。

追記:

「ぼくらの住むこの世界では太陽がいつものぼり喜びと悲しみが時に訪ねる」
「そして毎日はつづいてく丘を越え僕たちは歩く」     
「ぼくらの住むこの世界では 旅に出る理由があり誰もみな手をふってはしばし別れる」

病院から帰ってから聴いた「僕らが旅にでる理由*7」。恋人の別れを歌った歌だと思っていましたが、もっと深い意味がある気がする。と思ってググったらやっぱりあった。よい詩ですね。
安藤裕子と小沢健二と2人のドラマー

*1:そのせいでいくつかの約束や予定を破ることになってしまいました。ごめんなさい

*2:効がん治療がうまくいけば

*3:もちろん検査には限界があるので断言はできないとのこと。その点をしっかり伝えると事がすばらしいと思いました。また抗がん治療をスタートしていないので抗がん剤の副作用ということもありえません。

*4:素人考えですね

*5:さすがエンジニア気質!

*6:多分僕らを気遣ってのことだったと思います

*7:安藤裕子カバー版