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びっくりするほどユートピア

(自然のものでも人為的なものでも)災害が起きれば、社会の秩序が失われ、住民達がパニックを起こし、暴動や略奪がおこり可能性すらあると一般的には思われています。だからこそ東日本大震災では、未曾有の災害の中、冷静さを保ち秩序ある行動をとる日本人が賞賛されました。しかし実際には「どこの国でも」「ほとんどの人間が」、大規模災害時に秩序を保つだけではなく、普段よりも素晴らしい行動をとるらしいです。本書では様々なインタビューや資料を通してそれを述べています。

災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)

災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)

災害が起こった土地の住民達は、危険を冒して隣人を助けたり、自分達の物資を周りに提供したり、(普段の人種差別等の壁をこえる)一時的なコミュニティを作って相互扶助をおこなったり、まさに災害の中に一時的なユートピアを築きあげます。それは世界中のどこでも見られる現象だと作者は確信しているようです。

それに対してパニックを起こすのは、公的機関や大組織のリーダー(つまり政治家など)で、それは「エリートパニック」と呼ばれます。政府等の上意下達、官僚的な巨大組織は、決まった仕事を決まったプロセスで処理することに最適化されすぎています。そのため大規模な災害のような予測不可能な事態に対処できないのです。さらにエリートパニックは、「災害によって失われる社会秩序」という幻想によって増幅されます。政府は住民達を危険視して一箇所に閉じ込めるといった抑圧的な行動にでることがあります。それは結局、被害や死者を増やす結果を招きます。

政府のような大組織よりも災害の渦中にいる住民たちによる、ある種アドリブ的でボトムアップなコミュニティの方が、より問題に適切できるというわけです。そして、このような災害によって生まれたコミュニティは、ほとんどはすぐ消えてしまうが、ごく稀に永続化することもあり、それが革命に繋がると本書では述べています。

ただ本書の「住民達のコミュニティ(災害ユートピア) vs 愚かなエリート層」という構図がどこまで普遍的なものでしょうか。信じたい気持ちはありますが、やっぱり謎です。インタビューや資料を恣意的に取り上げただけという穿った見方もできてしまう。そこが本書の弱点だと思います。もう少し理論が欲しい。。