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神様はタオイスト

いわゆる哲学の永遠の課題(自由意志)について、人間とファンキーな神様が対話してる文章。かなり面白い。
(Is God a Taoist?)神さまは老荘思想家

神:
おっす、呼んだ?しかもなんだよ、自由意志っておれが人にあげた力のなかでも一番すごいやつのに…なにが気に入らないんだよ?

神:
あーーごめん、おれはモラリストじゃないんだ。功利主義者ってか、とりあえず動けばなんでも良いんだよね。おれはモラリストってのは人類の最悪の悲劇の一種だと思ってるよ。ものごとの枠組のなかでのおれの役目は(この言い方は語弊があるけど、まあいいか、)だれかを罰したり祝福を与えたりすることじゃなくて、いろんな存在がベストを尽くすプロセスのお手伝いをする、って感じかな。

神:
たしかにそうだよな。あーでも「人格的」ってのは、ほんとにそうかどうかよりも見方とか思い込みに左右されるよな。おれが人の姿をしているかどうか、って熱い論争があるけど、どっちもくだらない。どっちも正しいし間違ってるから。まあ、ある観点からすればおれには人格があるし、別の観点からすればそんなものはない。つーか人間にとって、どっちでもいっしょなんだけど。他の惑星から来た知的な被造物は、自分のことを単に「物理法則に従った分子配列のふるまいが観測されるなあ」くらいに感じて、パーソナリティとか考えないかもよ?
そいつは、人間がアリの個性を見分けられないのと同じに、人間のパーソナリティを見分けられないかもしれない。つーか、おれみたいにアリのことを良く知ってる奴から見れば、アリにも人間と同じか、それ以上にパーソナリティってやつがあるんだけどね。なにかを個性と人格あるものとして見る態度が、正しいか間違ってるかはさておき、ふつう何かのことを知れば知るほど、人格があるように思えてくるもんだよ。でさー、大事なのは、あんたがおれを人格あるとみなしているかどうか?なんだけど。

こんなファンキーな神様だったら、いてもいいかも。
著者はレイモンド・スマリヤンという方らしいです。覚えておこう。