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なんでもつくるひとのインタビューとクリエイターの話((中学生的感想つき))

自前でスコープドックをつくった倉田さんのインタビュー。倉田さんは、「鍛冶屋」さんということで、とにかくいろいろ作る人。六本木スィートベイジルにある鉄製のギターの作者なのは初めて知った。
インタビュアーの人もかなり熱くて*1、考えさせられる部分が一杯あって、久しぶりにWebでいいもん読んだと思う。特に素敵だなと思ったところを一部抜粋してみた。

――『下流社会』という本、読みました?
倉田 知らない。なんか嫌な感じのタイトルですね(笑)。
――でも売れているんですよ。収入の二極化が始まっている、という内容で、この本に当てはめると光吾郎さんは……ばっちり下流かって(笑)。要は「やっぱり、収入は多ければ多いほどいいよね」という、かつての“常識”が作ったレッテルという気がするんですよ。
倉田 お金イコール労働の代償じゃないですか、本来は。
――本来というか、元々はね。相手の価値との等価交換システム。
倉田 例えばあぶく銭でも何でもいいから4000万円つくって、4000万円のマンションを買うのと、収入がゼロでも自分で家を建てて、同じものを建てたら、これって価値としては同じですよね。でも何となく4000万円をもらった方がリッチなような感じがするという。
 結局、お金が儲からなくたってそれ相応の、自分で作り出せば同等の生活ができる可能性があるんだけれど、そういうのってまったく無視されちゃっているじゃないですか。
――実際にこの家建てた人が言うと説得力あるね。
倉田 このドームハウスは300万円の予算で、10カ月間の自分の労働で建てたんですが、お金に換算したら、外注で建てた場合は1000万円とか、1500万円とかにはなっているかも。
――なっているかもしれない。
倉田 ということは、僕がその年に1000万円以上の収入があったのと同じじゃないですか、本来は。でもお金持ちな感じはしないんですよね、自分でやると。

「下流社会」本の奥底には、世の中の価値*2の総量は決まっていて、皆でパイを奪い合っていて、学歴やら就職やらその他で上手い事やった人のみ、それを甘受できるという考え方があると思う。少しウンザリしてしまう。
そうではなくて「価値は作れるものなんだよ」というのは、クリエイターならではの考え方だと思う。すごく元気が出る考え方だ。確か似たようなことをポール・グレアムも語っていたはず。
というわけでクリエイターは貴重な存在。自分がなれなくても*3、応援はしたいし、少なくとも足を引っ張るようなマネはしたくないと思った。

*1:この人いっつもネガドンの話振るね

*2:少なくともお金で換算できるタイプの価値

*3:一応専門?のソフトウェアの世界に限定しても、今の自分は人が作ったものを使わせてもらっているだけだ